へっぽこ講師のあれやこれや(別館)

頻繁にやる気が行方不明になる大学教員の雑記です。アカデミックな要素はかけらもありません。

報告終了

ここ2週間ばかり準備に追われていたゼミの報告が、昨日終了。「あ”~、何言ってんだよ~、どうまとめたらいいのよ~」なんて頭を抱えつつ、必死で論文を読んでは報告原稿を作るというのは、久しぶりのこと。外部の読書会の報告も、学会での研究発表もやっているのにおかしな感じだけれども、ゼミ報告を担当した時の緊張感というか、”針のむしろ”感というかは、ちょっと特別。論文・学会発表でも、ゼミでも、準備段階での追いつめられ感は快楽でもあるので、なにげに楽しんでもいたわけだけれども。 前日に聞きにいった研究会での発表(第一次大戦の前後にベストセラーになったイギリスのロマンスに関するもの。裏テーマは”だめんずウォーカー”であったらしい)に触発されてピシッときめたいと思ったのだが、読みの甘い部分があったりして、「んー、グダグダになってしまったよ」という感じ。社交辞令であっても「聞きやすかった」ということを言ってもらえたりしたのが、せめてもの救い。 その後は、もちろん”飲んだくれ部”の活動へ。学会活動や非常勤のことなどで情報交換。ゼミ後なので、自然とゼミの話にもなる。ゼミにおける”針のむしろ”状態は報告担当者にかぎったことではなく、「読んできているからには、1回は何か言え」というプレッシャーがかかる。そのため、”飲んだくれ部”は”針のむしろ”なゼミの反省会および対策会議になったりするのだ。そんな中、「わざわざ好きこのんで、ああいうプレッシャーを受けに行くわけだから、私たちってMかもね」なんて話にもなる。論文や発表原稿などを書いていると心身ともに追いつめられてくるのだけれど、その感覚がたまらないということを言う人は、私も含めて少なくない。そんなわけで「研究者=ドM」説というものを唱えていたわけだが、その説があらためて確認されることになった。 ゼミにおける学生のアタフタぶりと言えば、この本。 マンツーマンの姫状態ゼミ(今考えると、とてつもなく贅沢なことであった)の学部から、他大の院に進学した私にとって、ゼミでの”針のむしろ”状態は恐怖以外のなにものでもなかった。遥さんの右往左往ぶりというのは、そんな修士時代の自分とものすごくシンクロする。文系女子院生の生態の一端をかいま見ることができる一冊だと思う。