へっぽこ講師のあれやこれや(別館)

頻繁にやる気が行方不明になる大学教員の雑記です。アカデミックな要素はかけらもありません。

韓国旅日記(2)

韓国旅日記の2回目はソウルを出た2日目のもよう(前編)です。 7月22日はソウルから礼山(イェサン)へ。 移動の都合上、朝食は車中で。 2日目朝
ホテルで作ってもらったハムチーズサンドです。わきにあるのは飲むヨーグルト(リンゴ風味)。ちなみに、もう一つの選択肢はヴェジタリアンのサンドイッチでした。”いやすこ”としてはやはり、どんなのものか気になるところですが、おかわりをねだるほどの食欲は出せそうになくて涙を呑みました。 礼山では、修徳寺(スドクサ)を中心に見てまわりました。まずは、キョンソン庵と歓喜(ファンヒ)台を見学し、比丘尼(=出家して具足戒の348戒を受けて修行をする尼僧)の話をうかがいました。現在出家をする際の資格としては”高卒以上”、”しかるべきところに身元照会はするけれども、外国人でも可”なんてことも、はじめて知りました。お話をうかがったのは、 歓喜台
このような石寺でした。高台にあるので、たどり着くまでに汗だくのヘロヘロでしたが、中はひんやりと涼しうございました。 お話をうかがってからいったん山を降りて、昼食へ。降りたところで、 寺の亀
またもや亀像に遭遇、亀好きはまたもや大興奮。お昼ご飯へとひた走っているところでは説明など請うことはできず、何を意図したものなのかは分からずじまい。 そして、昼食はこちら。 2日目昼
中央に映るオレンジ色のものは”つるにんじん”というもの。ごぼうのような食感で箸が止まらなくなり、旺盛な食欲を発揮。”つるにんじん”の隣は味噌チゲです。だしとして使われているもので、食卓は喧々囂々。「これは~、田んぼにいるサザエみたいなのですねぇ。」「それって、タニシのことじゃない?」「そう、タニシですねぇ」「タニシって食べられるの!?」「そうですよ。こっちのサラダにも入ってますねぇ」「うひょ~」ってな具合。そんなこんなで満ち足りて食後のシッケをいただいていたところ、梨花の先生から自己紹介大会の開会宣言が…。韓国語と日本語の両方を使える人を除き、使用言語は英語が基本。日本語でも慣れていない人の前で原稿なしで話すのは苦手なだけに、5割増位のしどろもどろ状態になりつつ、研究テーマやら感謝の意などを述べたのでありました。この席上で日本側の学生が、「今までRAとして頑張ってきたけれども、今回の歓待を受けてまだまだだと思いました」とそろって発言。大反省会の様相を呈したのでありました。 RA業務および英語力について深く反省をした後は、再び見学。ナ・ヘソク(韓国初の女性西洋画家)が金一葉(キム・イルヨプ:作家。後に出家)を訪ねた際に晩年に滞在したという修徳旅館を経て、修徳寺へ。修徳寺についての説明を受けた後、ナ・ヘソクと金一葉に関するレクチャー。 ナ・ヘソクと金一葉は、韓国における「新女性」を代表する存在。「新女性」とは、教育機会の拡大や社会参加の活発化とともに1920年代に登場しだした、既存の女性像に挑戦しようとした女のこと。レクチャーでは、「新女性」とは欲望の対象となる若い女に対する名称で、挫折を経験し年をとった「新女性」は「転落した女」として周縁化されて名前のない状態となっているという指摘がなされ、トんでいた意識が一気に戻ったのでありました。ここでシャキッとしてしまったのは、名前とか名付けといったことに関心を抱いていたということもあるし、「転落」という言葉の意味合いに引っかかるものがあったからです。さらに言葉の意味合いということでは、「新女性」というカテゴリーもまた引っかかりました。ナ・ヘソクも金一葉も『青鞜』を通して女性解放に目覚めたということだから、「新しい女」に相通じるものとして論じられている感じ。どちらも新しい女の生き方を模索した存在であることは確かだろうけれども、「新しい」とくくる際の背景や方法にはズレがあるはず…と思わずにはいられなかったのです。この引っかかりは、最終日(シンポ2日目)に論じられることになるのですが…。 というわけで、今回はここまで。