『走ることについて語るときに僕の語ること』

書き続けることに関して、村上さんの含蓄あるお言葉のあれやこれや。 「継続すること――リズムを断ち切らないこと。長期的な作業にとってはそれが重要だ。いったんリズムが設定されてしまえば、あとはなんとでもなる。しかし弾み車が一定の速度で確実に回り始めるまでは、継続についてどんなに気をつかっても気をつかいすぎることはない。」(16) 「健康な自信と、不健康な慢心を隔てる壁はとても薄い。」(79) 「そう、ある種のプロセスは何をもってしても変更を受け付けない、僕はそう思う。そしてそのプロセスとどうしても共存しなくてはならないとしたら、僕らにできるのは、執拗な反復によって自分を変更させ(あるいは歪ませ)、そのプロセスを自らの人格の一部として取り込んでいくことだけだ。」(95-96) 「このような能力(集中力と持続力)はありがたいことに才能の場合とは違って、トレーニングによって後天的に獲得し、その資質を向上させていくことができる。毎日机の前に座り、意識を一点にそそぎ込む訓練を続けていれば、集中力と持続力は自然に身についてくる。これは前に書いた筋肉の調教作業に似ている。日々休まずに書き続け、意識を集中して作業をすることが、自分という人間にとって必要なことなのだという情報を身体システムに継続して送り込み、しっかりと覚え込ませるわけだ。そして少しずつその限界値を押し上げていく。…刺激し、持続する。刺激し、持続する。この作業にはもちろん我慢が必要である。しかしそれだけの見返りはある。」(109) 「身体こそ実際に動かしはしないものの、まさに骨身を削るような労働が、身体の中でダイナミックに展開されているのだ。もちろんものを考えるのは頭(マインド)だ。しかし、小説家は「物語」というアウトフィットを身にまとって全身で思考するし、その作業は作家に対して、肉体能力をまんべんなく行使することを―多くの場合酷使することを―求めてくる。」(110-111) 「才能にそれほど恵まれていない―というか水準ぎりぎりのところでやっていかざるを得ない―作家たちは、若いうちから自前でなんとか筋力をつけていかなくてはならない。彼らは訓練によって集中力を養い、持続力を増進させていく。そしてそれらの資質を(ある程度まで)才能の「代用品」として使うことを余儀なくされる。しかしそのようにしてなんとか「しのいで」いるうちに、自らの中に隠されていた本物の才能に巡り合うこともある。…しかしそのような「幸運」が可能になったのも、もとはといえば、深い穴を掘り進めるだけのたしかな筋力を、訓練によって身につけてきたからなのだ。晩年になって才能を開花させていった作家たちは、多かれ少なかれこのようなプロセスを経てきたのではあるまいか。」(112)
走ることについて語るときに僕の語ること走ることについて語るときに僕の語ること
(2007/10/12)
村上 春樹

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