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だけど、私はしがみつきたい

香山リカの『しがみつかない生き方』ですが、買ってすぐに読み終えておりました。


「成功」して抜きんでることなど目指さず、「ふつう」の「そこそこ」の幸せで十分じゃないかというのが、その主旨。そんな彼女の主張が凝縮しているのは、以下の部分だと思われます。

 とりあえず自分に与えられている仕事、役割、人間関係に力を注ぎ、何かがうまくいったら喜んだり得意に思ったりすればよいし、そうでないときには悲しんだり傷ついたり、また気持ちを取り直して歩き出したりする。そんな一喜一憂を積み重ねながら、どこから来たのか、どこに向かっているのかもわからないまま、人生の道を歩いていくその足取りの中で、しみじみとした味わいや満足が得られるのではないか、と私は考える。(179)

こう言われても、「でも、それで人は満たされるものなのだろうか?」と問わずにはいられませんでした。今の私には、「とりあえず」という姿勢で波のまにまに漂うような生き方が好ましいものとは思えませんでした。臨床例を持ち出されなくとも、誰もかれもが突出した成功をおさめられるわけではなく、どこかで妥協なり満足なりをしなければ壊れてしまうということは分かります。分かるけれども、受け入れがたい。しがみつきながらも「そこそこ幸せ」という生き方って、できないものなのでしょうかね。


それでも、仕事に関するこの部分にはちょっと目から鱗が落ちました。

 それに、”パンのため”であれば仕事にも身が入らないか、というと、それも違った。この仕事を失ったら今月から暮らせないと思うと、かえってそれなりに真剣になる。また、仕事そのものが「本当に好きなこと」とは違っていたとしても、その中である程度、長くやっていると、だんだん技術が身についていく、まわりの人からも認められたり頼りにされたりする、という別の喜びが味わえる。しかも、たとえちょっとした失敗をしたとしても、「これはしょせん本当に好きな仕事じゃないんだから」という逃げ道があるので、激しく落ち込まずにすむこともある。仕事と適度な距離を保つことができるので、燃えつきずに長く続けることもできる。[略]「私は何のために働いているのか」と深く意味をつきつめないほうがよい。どうしても意味がほしければ、「生きるため、パンのために働いている」というのでも、十分なのではないだろうか。(128-129)

「好きなこと」とつながる仕事でも、好きじゃない業務はいろいろ降ってくるし・・・というわけで。