サヴァティカル的なものをもらえたため、今年度は本分の研究活動に専念することができています。それ相応の成果をあげて帰らないといけないというプレッシャーはあるものの、降ってくるものがないおかげでくつろげているのもまた事実。そんななかで「休暇について考える」というのはおかしいのだけれど、この週末は休暇というものについて考えることがありました。
きっかけは、所用で勤務校に戻った際にした同僚の先生との会話。
昨日は所用で勤務校に行ったのだけれど、同僚の先生と年休の話になった。「年休が全然とれない…」というようなこと。「夏休み中にまとめて消化して海外に行ったらいいのに。若くて体力があるうちじゃないとできないんだし」と言われた。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 8月 22
そういうことをしたいのはやまやまだけれど、降ってくるものもあるし、書き物などで集中できるのは長期休暇中しかないし、結局は休みを取り損なって出勤するよな…なんて思う。休みを取る人は、校務があろうとなんだろうと休んでいなくなるわけだけど。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 8月 22
私たちにも年休(=有給)はあるのだけれど、時間割の関係で、授業期間中に年休をとることは非常に難しい。難しいというよりも、面倒くさすぎる。振替などの手間をかけるのが嫌ならば、授業がない長期休業期間にまとめて消化するしかない。
そのような状況を踏まえると同僚の先生の発言は真っ当なものなのだけれど、実際には思いきったことができません。校務でスケジュールが細切れ状態で埋まってしまったり、長期休業期間くらいしかまとまった時間がとれないから論文をかかねば…ということがあったり、高飛びができるような懐事情ではなかったりするためです。
すでにつぶやいたように、休む人は何があろうと休んでしまいます。年休を消化しきれずに召し上げられるばかりという状況がそんなに嫌ならば、何があろうと休んでしまう人に倣えばよいのですが、思い切れないだろうな…と、思ったり。
そんなこんなで、休暇について考えてしまったけれど、私は結局、上記のようなことをぐだぐだと考えては、「休みたい、でも…」と言って学校に出てくることになるのでしょうね。いやはや。
休みが取れなくても、もふもふがいてくれれば、とりあえずなんとかなる。