スーパーグローバル大学のプログラムに37校の大学が採択されたというニュースが駆けめぐりました。採択された学校の名前を見て、直接関係があるわけでもないのに、このように(↓)暗い気持ちになっております。
スーパーグローバル大学の採択結果をみて、恐れおののいている。大学に所属しているわけではないので直接プログラムにかかわるわけではないけれども、採択校と近しい組織である関係で近いうちにその影響がおよんでくることは想像に難くない。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 9月 26
学生の英語力(というか、英会話能力?)の底上げをしろ、専門科目の英語授業のサポートをしろ、そもそもお前も英語で授業をしろ…等々の要求をつきつけられることになるのだろうなぁ…。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 9月 26
この先どこに属することになっても、教育機関のお世話になるかぎりは「英語で授業」ということを避けてとおれなくなるのだろうなぁ…。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 9月 27
SGUの件で元ボスとやりとりをしたら、上のほうでは「グローバルなんちゃら」に向けた動きが着々と進んでいるよと教えられる。モデル校の動き、さらには、このたび採択を受けた大学との関係をもとにして、下々の学校も「グローバルなんちゃら」が数年以内に要求されるのは確実そうだな…。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 9月 27
教育のからみで「グローバル」という言葉を聞くと、おそろしくてふるえてしまいます。「専門科目も英語で授業」ということに耐えられるだけの力を養わせぬまま各種プログラムに突入することになるのでは…という懸念、「グローバル」=「英語」という図式への不安、「グローバル人材」なるものの養成が実のところ自分のところの学生にも求められているのだろうかという疑問というように、考えてみればふるえる理由もそれなりに出てくるのだけれど、あくまでも「それなり」で釈然とはしません。
なぜに「グローバル」って言われるとふるえちゃうんだろう…。どこに向かっているのか、何をしようとしているのか、そんなことがちっとも伝わってこないからなんだろうなぁ。
「母ちゃん、“ぐろーばる”ってうまい?」