平日は受け入れ先の図書館に通い、学食メニューの開拓を楽しみな日課としつつ、論文を書くという暮らしをしています。年に1つは新しいことをするというペースで歩んできたため、今年度の(とりわけ、先月からの)追い込みが堪えている今日この頃です。
論文の追い込みでへろへろしていたある日、学食にて仲むつまじくしている若者に遭遇しました。
おいしくご飯をいただいたが、リア充なカポーが視界に入ってカリカリする(うらやましくて)。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 10月 30
その時の模様をこのようにつぶやいていたのですが、「非モテ上等」をモットーとする自分としてはかなり弱気な発言ではなかろうか…と思ったり。
なぜに弱気になったのだろうと考えてみたら、ある女性芸能人が入院したというニュースが頭にあったからかもしれません。この方、家人が異変に気づいてもらったおかげで大事に至らずに済んだのだとか。近ごろこういう話を聞くと、「ひとりもんの自分に何かあっても誰にも気づかれることはない…」とか、「倒れた時には何日後に気づいてもらえるのだろう…」ということが頭をよぎります。もはや若手ではなく、また、自分に何かあった場合に路頭に迷う子(=うさぎ)たちもいるため、何か策を講じなければならないと思うようになってきているのです。「非モテ上等」といきがってばかりもいられないかも…なんて。
気ままなひとりもんでも、年をとればそれなりに考えなければならないことは出てくるもの。中年に入ってしまったら、気ままなだけではすまないようです。いやはや。