相変わらず、開館時間にあわせて図書館に出動して自分が書いたものをひたすらにらみ、昼になれば学食で昼食を食べ、再び自分が書いたものをにらみ…という日々を過ごしております。推敲の時期に入り、自分の書いたものばかり見ているという日々でげんなりしつつありますが…。
変わりばえのない日々を過ごしていますが、研究期間の終了が近いこともあってか、研究や仕事についてあれこれ考えることも間々あります。昨日は、そんな一日だったようです。
これからは、所属先があって、そこで個人の研究室(部屋)をもらえるということだけで満足をしないといけないという時代になっていくのかな…と暗い気持ちになったり。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 11月 20
論文を書かないでも研究費をわんさかもらえていた世代に生まれたかった…。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 11月 21
生まれた時代が違っていたら研究の道に進まないという気もするけれど。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 11月 21
職場で昔の研究費の話を聞いたりすると、歯を食いしばり拳を握りしめる私です。専任になれた時は、通う場所が一つになること、次の年の雇用について心配しなくていいこと、研究室と研究費をもらえること…といったことに対してありがたいと思うばかりでした。専従非常勤(高学歴貧困女子)時代と比べれば恵まれているけれど、研究の環境は厳しかったりするなどなど、思うところはいろいろ出てくるわけです。そして、歯を食いしばり拳を握りしめる…という。
就職も厳しいし若い人に進学を勧められないとか、若者の方だってそんな状況をとっくに分かっているからはなから進学を考えない…というわけで、自他共に「若手」と認められる人が少なくなっていく状況になっていると思う。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 11月 21
そういう状況を変えるには、大学等に所属しないと研究ができないという仕組みは変わった方がいいんじゃないかと思っている。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 11月 21
「研究も職務って言ってたじゃん…」とふるえないですめば、それでいいです。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 11月 21
事実上アカポスしか就職先がないという状況は変わった方がいいと個人的には思う。進路が限られていては、「勉強を続けてみよう」とは思えないはず。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 11月 21
ドクターに上がる時に「これでもう堅気にはもどれないのね…」って思ったよな。だけど、それって変な気もするんだよなぁ。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 11月 21
博士後期課程は研究者としてやっていけるようになるための修行の場であるわけだから、そういうところに軽いノリで来られてはたまらん…というのはあるだろうけど。
— へっぽこ (@heppokoteacher) 2014, 11月 21
大学等に就職するか専従非常勤講師でいくしかないというのは、つらかった。アカポスにつくしか選択肢はないということは覚悟のうえで後期課程に進んだけれど、課程の3年が過ぎてからは、とにかく辛かった。研究に興味を持つ若い人が業界に入ってこられるように仕組みの方が変わっていけばいいのに…と思います。