へっぽこ講師のあれやこれや(別館)

頻繁にやる気が行方不明になる大学教員の雑記です。アカデミックな要素はかけらもありません。

4月後半

4月20日(月)

多読授業0.5コマのみ。しかし、書類書きや学習相談の対応に追われてあっという間に放課後。担任団での懇談の後、部活への顔出しと授業準備。帰宅して自分とうさぎの夕食を済ませてから、授業準備の続きでライティングのチェック。

 

 

4月21日(火)

最年長組の授業×2コマと多読授業0.5コマ。前後に記録用紙のチェックなどの仕込みやら、部活への顔出しやら。何か特別なことをしているわけではないけれど、昨年度はサバティカル的なもので桃源郷にいるような状態にいた反動なのか、やたらと疲れる。

 

 

4月22日(水)

文法授業0.5コマ×2、多読授業0.5コマ×2。合間には学習相談を受けたり、ハラスメント関係のことで説明を受けたり。放課後は委嘱業務関係のあれこれ。

 

 

4月23日(木)〜24日(金)

新入生の合宿研修に帯同。基本的にはついているだけとはいえ、人間相手のことなので気を配らねばならないこともありくたびれる。移動の車中で、ピッチピチの若手*1の先生とおしゃべり。

 

 

4月24日(金)〜4月26日(日)

合宿研修から帰着後すぐに委嘱業務で遠征(運転手)。

 

試合結果は、学生の実力や普段の練習状況を思えば当然のものとはいえ、ほろ苦い結果に。我々の学校は、練習時間の制約はあるし、技術指導ができる人間はいないし(顧問の我々の本来の仕事は教育と研究なのだから)、学生間の実力や意欲の差も大きい。学生たちには、そのような現実を理解し、その現実を踏まえたうえでうまく活動を続けていくにはどうしたらいいのかを考えてもらわないといけないということを伝えて帰還。自分が関わる学生を応援したい気持ちはやまやまだけれど、自分たちの置かれている状況を理解してもらわなければならない部分もあるわけで、教員としてもほろ苦い気持ちになる遠征でありました。委嘱業務に限らず、個々の教員の善意に頼る仕組みはいつか必ず破綻すると思う。

 

 

土曜の夜には一緒に引率に来てもらっている同僚とあれこれ話す。それなりに思うところのある同年代は同じような行動をしていたりして、「そりゃぁ、そうですよねー」とニヤニヤ。そして、なぜか最後は恋愛関係の話に。「この地に骨をうずめるという踏ん切りがつかないし、一人でいい」と話したら、「誰かと付き合っとけばいいんじゃないですか?結婚とかなんとかは考えないで」と諭される。確かにそうだ。

 

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今回の留守中のうさぎの世話は、ペットシッターさんに依頼。よれよれな母ちゃんを尻目に、彼らは元気溌剌であります。

 

 

4月27日(月)

各種事務仕事に追われつつ、多読授業0.5コマ×2(合宿期間の振替で、0.5コマプラス)。泊まり業務が続いた疲れなのか、舌がもつれたりして喋りがままならない感じになる。授業準備はできていなかったけれど、早めに帰って寝る。

 

 

4月28日(火)

最年長組2コマ、多読授業0.5コマ×2(振替分の0.5コマ含む)。合間は某試験の実施準備を中心に事務仕事。

 

 

4月29日(水)

某試験の実施監督のため休日出勤。そのまま、明日の授業準備と委嘱業務関係の事務仕事。言葉がもつれる感じがおさまったと思ったら、今度は風邪をひく。つらい。

 

 

4月30日(木)

風邪でゲホゲホズビズビいいながら過ごす一日。授業は年長組のライティングの1コマのみ。あとは委嘱業務関係のことをやったり、偉い人と面談をしたり、多読の読書記録のチェックをしたり、会議に出たり、各種事務仕事(主に委嘱業務)をこなしたり。こなせどもこなせども仕事が減っていかない日々。

 

面談では、「研究を継続されているのは結構なことです。これからもその調子で…」と言われたのだけれど、今年度はそんなことはとても無理な状況。新学期をむかえてからずっと事務仕事に追いかけられ、研究関係のことがまったくできていない。「できない」と言ったところでどうにもならないので、自分で勉強や執筆の時間を作っていくしかないのだけれど…。時間を作るために「省エネ」な人やゴネて仕事から逃げる人になればいいのかしら…と思うこともあるのだけれど、そういう人が研究活動を活発に行っているようには見えないし、師匠や元ボスに「来た仕事は受けろ」と言われたことを思い出したり…で、結局途方に暮れる。

 

 

5月1日(金)

学校行事で授業はなし。とはいえ、担任としては学生の様子を見ておく必要があるため、校内をウロウロ。合間に事務仕事を少し片づける。

 

 

 

*1:学内的には不惑の私も若手扱いをされるのだけれど、相手はさらに若いという意味で。