ノドはヒリヒリと痛いまま、ついでに強打した尻も痛いままの一日。しかしながら、不調になってから一週間が経ち、いつまでも休んでいるわけにもいかないので、だましだまし翻訳原稿とにらみ合い。
昨日から読んでいた、こちらは読了。
- 作者: 外山滋比古
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2009/11/26
- メディア: 単行本
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「談論風発の楽しみ」と「朝、予定を立てる」がとくに印象的。
前者は、入院先に出入りしていた頃には何の気なしに持つことができていた雑談・談話の機会が就職してからはなくなってしまい、そのことがずっと気になっていたため。怠けものの自分が安きに流されないようにするという意味でも、リアルな場で談話の機会を作ることは必要だと、あらためて思ったり。まあ、へっぽこな日常を書きなぐるばかりではなく、研究関係でもっとネットを活用するというのもひとつの手でしょうが・・・。
後者は、読んでいて、思わず居住まいを正してしまいました。職場では、「研究者」よりも「語学教師」であることを強く求められており、それを承知してはいてもどこか割り切れないものを感じてしまったり・・・ということがままあります。が、駆け出しの自分はそんなことでくさっている場合ではなく、書いては投稿するということを繰りかえすしかないのだよなぁ・・・などと反省。まあ、私などはへっぽこですから、読んで勉強すべきことも山ほどあるわけで、「書く」と「読む」を並行でやる必要があるのだけれども。
というわけで、「朝、予定を立てる」から引用。
人から与えられた仕事は、難しいようでも、実は案外、楽なものです。やってみれば、たいていのことはやりとげられます。
それに引き換え、自分の求めてする仕事には締切もありません。催促する人もいません。当面、はっきりした利益をもたらさないのが普通です。こういう仕事を考え、予定に乗せ、なしとげる。これこそライフワークといえるでしょう。
知ることは本を読んでできます。考えることもできないわけではありませんが、やはり読んでいる間はあまり考えることはできません。考えるのが面倒だからです。
厄介なことから処理していけ、という原則に忠実にしようとすれば、まず考える、そして書く、そのあと時間があったら読む、というのが順序になります。
楽な読書から手をつけると、書く時間がなくなります。ましてや考える時間など残りません。