へっぽこ講師のあれやこれや(別館)

頻繁にやる気が行方不明になる大学教員の雑記です。アカデミックな要素はかけらもありません。

多読による語彙指導

相変わらず目先のことに追われてばかりで、本分の活動のスイッチが入らぬまま2月に突入してしまいました。いやはや…。「いやはや…」と言いつづけながら3月をむかえてしまう気がしないこともない…と思う今日この頃です。いやはや…。


昨年末に行った外部試験の結果が返却され、その結果をみて、「授業で多読をしたほかは別に何もしなかったのにスコアが上がってた」とか、「リーディングやリスニングのスコアが上がった(多読のおかげ?)」とかいった声がいくつも上がり、多読を導入した者としてほくそ笑んでおりました。が、そんな有り難い声と同時に、「でも、ボキャブラリーが落ちた…」という声も上がりました。そんなわけで、次年度の授業ではボキャビルをどう組みこんでいくかが課題になっております。

そんな課題を抱えつつ、シラバスの締切も抱えつつ、『英語教育』2月号の特集をペラペラとめくっておりました。すると、多読との関連で次のような記述がありました。

単語を定着させるためには、何回もその単語に出会い、その単語の意味を思い出すことが記憶の強化につながります。また、動詞による文型の違いや単語のコロケーションに気づいたり、単語のニュアンスを理解したりするには、大量の英語のインプットが必要です。

相澤一美「新指導要領下の語彙指導をどう進めるか」


Paul Nation氏は、2011年に開催された多読教育国際会議の中で次のように述べています。"To gain enough input to meet and learn the first 10,000 words, learners need to read around two million running words, preferably from a mixed corpus." 無味乾燥な単語帳の繰り返しや教科書の丸暗記はこの対極をなすものです。私は、読書(多読)による語彙習得の優位性を信じています。アメリカの読書運動を牽引してきたStephen Krashen氏の勧める"Narrow Reading"(同じジャンル・著者の本を狭く読むこと)は、記憶の忘却極性に照らし合わせてみても語彙習得にもってこいの読み方です。好きな作家、好きなジャンルの本を読み、楽しみつつ読むうちに異なる文脈の中で高頻度に同じ単語に遭遇することができます。

ノートルダム清心女子大学のRob Waring氏は「語彙定着に必要な遭遇回数は20回」と行っていますが、Narrow Readingならば、20回などあっという間です。

坂本彰男「多読で未知語を推測する力をつける」


多読で語彙の習得および定着がはかれるということに安堵したけれど、すぐに頭を抱えてしましました。未知語の意味を推測しながら多読をさせることで語彙の定着がはかれているはずなのだけれど、うちの学生はそのような実感は抱けていないのは、なぜ(「テストで長文を読むのが苦じゃなくなった」などと言うのに…)。10万語以上(前年度からの累計でいけば30万語程度)読んでいるような学生からそのような感想が出てきていることを考えると、この現象は読書量の問題ではないはず…。答えを見つけるには、彼らの読書記録を分析してみる必要がありそうです。


多読による語彙習得を信じる一方で、高校生くらいの年代の学生にとっては「やさたく」がストレスに感じられることもあるので*1、多読法からいったら邪道かもしれないけれど、学生のモチベーションを保つためには単語集の投入も必要なんじゃないか…などと思っています。


ぐるぐると考えていることを書いていて、いつもよりも余計にまとまりがなくなってしまいました。結局、シラバスの締切を前に考えているのは、多読を軸にしながら必要なことや良さそうなことは臨機応変に取りいれていこう…ということです。いやはや。

*1:「読める」ものと「読みたい」内容にギャップがあると、フラストレーションがたまって心が折れてしまうようです。「読める」と「読みたい」のバランスが取れているものも紹介するのですが、そういうものは「長い!」と足蹴にされてしまったりするわけで…学生の読書熱を保つのは骨が折れます…。