へっぽこ講師のあれやこれや(別館)

頻繁にやる気が行方不明になる大学教員の雑記です。アカデミックな要素はかけらもありません。

韓国旅日記(1)

7月21日からの5日間、梨花女子大学との国際交流プログラム(歴史文化紀行とシンポジウム)に参加してきました。今回の旅では、研究というものを行う者として、研究会の運営に携わる者として、そして個人として、学ぶことが多々ありました。今回の旅での体験を何回かに分けて報告したいと思います。 まずは7月21日(歴史文化紀行初日)のことを。 7時45分に成田に集合し、9時半発の便で韓国へ。仁川空港に到着後、梨花の研究員の方(コーディネーターとして八面六臂の大活躍で、RAとしてただただ頭が下がりました)に連れられて、ソウルに移動。これ以後、留学生の方が通訳をしてくれる時を除き、コミュニケーションは英語となり、しどろもどろ。あまりのダメっぷりに、到着早々にして反省モードに。 ソウルに到着後、まずは昼食。韓国でいただいた最初の食事はこちら。 一日目昼前菜
まず、前菜。キムチ、ムクの和え物(ムクはどんぐりの粉を固めたもの[通訳として大活躍した留学生Kさん談]で、食感としてはごま豆腐のような感じ。方々で出ました)、豚の加工品(軟骨のような食感)にチヂミなど。「うまい~」と調子に乗って食べていたら、「まだ、あるんだから…」との発言が。そう、メインが待っていたのです。 一日目昼ビビンバ
メインに選んだのはビビンバ。「お腹いっぱい…」と言いつつ、ワシワシとかき混ぜ、ガッツリいただいてきました。ちなみに、もう一つの選択肢は”大豆のそうめん”(と説明された)。豆乳ベースのスープの冷たいもの。一口いただき、「こっちの方がよかったかも」と思ったりも…。”いやすこ”(=食い意地がはっている子という意味の方言)の本領を早くも発揮。 その後、昌徳宮(チャンドックン)へ。 昌徳宮は1405年に景福宮の離宮として建てられ、朝鮮の宮殿のうち最も長く国王が住んだところ。1997年には世界文化遺産に指定されています。 昌徳宮入り口
まずは入り口の敦化門(トンファムン)近くで解説を受けたのち、錦川橋(クムチョンキョ)を渡って、公式行事が行われたという仁政殿(インジョンジョン)に。錦川橋にて、 昌徳宮の亀
こんな(↑)亀を発見。亀好きは一人で大興奮。ちなみに、この亀さんは宮殿を守る守護神なのだそうです。 仁政殿、王の執務室である宣政殿(ソンジョンジョン)、王妃の寝所である大造殿(デジョジョン)、王の寝所である煕政堂(ヒジョンダン)などを見学したのち、観纜池(カンランジョン)・尊徳池(ジョンドクジョン)エリア、さらに玉流川(オンリュウチョン)エリアへ。 昌徳宮・苔エリア
こちらは、玉流川の景色。緑と水にただただ癒されます。 昌徳宮を出た後はソウル市街に戻り、夕食。初めから並んでいるものは前菜であるという昼食時に得た教訓を忘れ、またもやキムチやムクやチヂミを食べまくり。そんな状態で出てきたメインはこちら。 1日目夕食
ヤンジコギスープのカルククス(kalkuksu)です。ちなみに、ヤンジコギとは牛の頭の肉、カルククスとは包丁で切った手打ちの麺という意味なのだそうです。画像はイマイチですが、このスープは本当にウマい!一同無言になって、すすっておりました。留学生の皆さんによると、日本でこのスープにはお目にかかれないとのこと。「ここでしか食べられないのなら、いくしかないっしょ」というわけで、膨満感をものともせずに完食。猛烈な食いっぷりに、「カッコいいです」の賞賛を浴びたのでした。 ヤンジコギスープを満喫した後は、本日の最終ポイント、清渓川(チョンゲチョン)へ。デートスポットであるらしく、いちゃつくカポーが散見。「ムキーッッッ」と思いつつ、散策。 壁画
川沿いに見学をしたのは、こちらの壁画(正祖大王の陵幸班次図壁画)。朝鮮王朝22代目の王正祖が、1795年に母の恵慶宮洪氏を伴って華城へ向かう様子を描いたもので、世界最大規模の陶磁壁画なのだそうです。ただ、この画題は清渓川の歴史とは直接関係がなく、制作に関しては行政への批判もあるそうです。確かにコーディネーター役のKさんも、「いかがなものかと思うんですよねぇ…」としょっぱい顔をしてました。 初日のプログラムは以上で終了し、宿へ。喜び勇んで部屋を開けてみたら、とっちらかったバスタオルが視界に飛び込んできて呆然。ベッドメイクだけができているという状況にさらに呆気にとられつつ、フロントへ。ちょうどいい具合に出くわした留学生の方に事情を説明してもらい、部屋を変えてもらうことに。 1日目部屋
ツインルームで一人ぽつねんと、夜を明かすことになったのでした。