整形美女

姫野カオルコ『整形美女』を読む。
整形美女 整形美女
姫野 カオルコ (2002/09)
新潮社

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もてない女(実はけちのつけようがない美女)繭村甲斐子が、整形によって肉体を変え”最大多数の大衆にとっての美人”変身し、改造後の肉体に見合う口ぶりや物腰を身につけて、モテの市場で勝ち逃げをしていくという物語。この物語が秀逸なのは、甲斐子とは逆の変身を遂げて甲斐子が味わってきた辛酸を嘗める女として、望月阿倍子が登場しているところ。二人の女が配されたことで、「もて」(ということは恋愛)の不平等や不条理がより鮮明になっているといえる。 二人の女の物語から、「もて」というのが美醜よりもむしろ雰囲気によるものだと思わされる。この本で語られる「もて」は、不特定多数に注目される「全方位的もて」である。この「もて」の要は、自分にとって都合の良い解釈を相手にもたらす「曖昧さ」と”とりあえず””何でも”受け入れるという姿勢であろう。曖昧さや節操のない寛容さに対してどう反応するかで、(全方位的に)もてるかどうかが変わってくる。整形前の阿倍子のようにそのような資質を「すこやかさ」として持っている者、「計画」を実行する甲斐子のように、”この「不潔さ」がうけるのだから”と身につけようとする者がもて、「不潔」な曖昧さに背を向ける者はもてない。雑誌などが説く「愛され」や「愛させ」の裏にあるえげつなさが、『整形美女』では露わにされている。 さて、今回膝を連打したのは、 いつか、ね。いつかめぐりあえる、ね。でも、ここに百人の男性がいたとして、うち九十九人が、その女性[整形前の阿倍子]のような人が好みであるなら、確率からして私の”いつか”は、その女性よりものすごく時間を喰います(64) という、整形前の甲斐子の言葉。「いつか、いい人が現れるよ」というお慰みを言われ続ける非モテ女の心情を、恋愛というものの不平等性を端的に表している。 自分の容姿はさておき、整形前の阿倍子の「すこやかさ」を「えげつない」としか思えず、甲斐子のように「不潔さ」を敢えて身につけようとは思えない自分はどこまでも非モテなのだなぁ…、としみじみと思ったのだった。