へっぽこ講師のあれやこれや(別館)

頻繁にやる気が行方不明になる大学教員の雑記です。アカデミックな要素はかけらもありません。

月例会

日本アメリカ文学会東京支部の月例会で三田へ(それぞれの発表の要旨は支部のホームページhttp://www.tokyo-als.orgに掲載されています)。 研究発表では、1920年代の南部の知のマッピング(全国誌で展開した南部叩き・ヴァンダービルトの詩人たちがとった立場・文学研究におけるヴァンダービルトの詩人たちの位置づけ)、反モダニズムとしての農本主義とモダニズム(数々の否定のうえに成り立つ「後ろ向き」な農本主義による形而上詩を中心とした詩の定義の書き換え)、リージョナルなものである農本主義がナショナルな言説と接合する様について。特に、「後ろ向き」な農法主義の歴史観が冷戦期の知識人の歴史観と結びついて国家の文化・教育政策と化かかわっていくという議論には、特にひきこまれました。南部の出身で南部を舞台にした作品を残しているのにカポーティは南部作家としてカウントされない(そしてそれは疑問を投げかけられることなく受け入れられがちでもある)とか、1920年代に展開した南部叩きでは批判にしろ擁護にしろ優生学の言説が用いられていたとか、農本主義も(南部による)モダニズムの定義も否定を重ねて説明されるという点は、個人的には発見でありました。 分科会は近代散文へ。外形的な美を特徴としながら、近代の性規範にとっては境界侵犯的な存在の男を「フェア・マン」とし、ナサニエル・ホーソーンの『大理石の牧神』の男性登場人物ドナテロを分析したもの。「ダーク・レディ」と「フェア・レディ」という対は文学作品にはしばしば見られるけれども、この図式は男性登場人物にも転換されているかというと、対では見られないもの(ホーソーンの作品では邪悪な男性登場人物を「ダーク・マン」と定義する研究はあるそう)。そういうわけで、「フェア・マン」という位置づけは斬新。「フェア・マン」ということでいったら、メルヴィルにもドンピシャなのがいるじゃないかとか、『大理石の牧神』ということでいったら、彫刻と絵画の差異はどうとらえられるのかとか、興味深い点があれこれ出てきたのでした。 学ぶところの多い、有意義な一日でありました。