へっぽこ講師のあれやこれや(別館)

頻繁にやる気が行方不明になる大学教員の雑記です。アカデミックな要素はかけらもありません。

年をとって、ぼんやり考えた

 たまたま友人と会う予定が重なったおかげで今年の誕生日はイベント色の強いものになったけれど、大学進学を期に実家を出てからというもの、基本的にイベントごととは縁のない生活をおくっています。誕生日も、クリスマスも、ヴァレンタインも全部他人事で、母が確信犯的に部屋に電話をしてきて「あら、あんた、いたの?(ニヤリ)」とからかわれるというのがお約束。そんなわけで、誕生日を迎えたからといって、感慨などちっともありません。二十歳の時も、三十の時(去年)も、そう。  節目となる日にはあまり感じないのだけれど、ぼんやりしている時にふと思うのです。「中学とか高校の時には、今みたいになるとは思いもしなかったよなぁ」なんて。  二十歳くらいまでは、大学院に行くことも東京出ていくことも考えもしませんでした。大学を出たら田舎に帰って先生になって、20代後半くらいで結婚して30くらいの時に子供を産んでるんだろうなぁ…としか、思っていなかった。万が一、一人でいるとしても、定職についているものだと思っていました。とにかく堅実な生活を送っているものだと信じて疑わなかった。「堅実」というのが「大人」のイメージだったわけです。それがどうでしょう!今の暮らしは、「大人」とはほど遠い。「先生」と呼ばれる立場とは言っても、非常勤講師だから身分としてフリーター。専門は、学部の再編で周縁に追いやられがちな文学です。「人生そのものがギャンブルだから」と言えば深く納得され、「私に投資しない?大化けするかもよ」と言えば「いや、”ハイリスク・ノーリターン”かもしんないじゃん」と返される、とにかく不安定な状況にいるわけです。18か19頃の自分が今の自分を見たら、「キィーーーーーーーッ」と逆上してしまうに違いない。  最近ではようやく観念して、「思いもしないところにいってしまうのも、人生だろう」と思えるようにはなってきましたが、それでも自分の中の「大人」像と実際の自分とのギャップに倒れそうになります。生活においては、基本的にあいまいなことが嫌いだから。でも、抱いている理想通りに暮らせていなくとも、しくじったというわけでもないでしょう。軌道修正できたはずのところを、あえてしなかったのは自分なのですから。修業年限などの節目が来た時にはどん底まで落ち込んで悩んでしまうのだろうけれど、想定外の状況を思い切って生きてしまった方が、案外と道は開けてくるのかもしれません。相変わらずとりとめもないことをぐるぐると、でも、以前に比べると前向きに考えてみたのでした。  そんなことをぼんやり考えたり、授業の予習をしたり(大学生は今週いっぱいは授業なのだ)、宝くじ書類の手直しをしたりしていたら、無性に玉ねぎが食べたくなりました。そんなわけで、晩ご飯に向けて玉ねぎをひたすら刻みつつ、ひたすら涙を流しておりました。硫化アリルで号泣。涙を流すと、わけもなくすっきりしますね。 いんちきキーマカレートマトと玉ねぎ
こんなサラダを作りました。